日高山脈ヒグマ遭遇事件:忘れ去られた山岳遭難の記録
1970年7月、福岡大学ワンダーフォーゲル同好会の5人の若者が、日高山脈縦走という壮大な冒険に挑みました。しかし、彼らを待ち受けていたのは、北海道の深い山中で繰り広げられる、ヒグマとの予期せぬ遭遇でした。羽根田治氏の綿密な記録に基づき、この日本山岳史上特筆すべき遭難事件の幕開けを辿ります。当初は好奇心を抱いていたメンバーたちでしたが、次第に緊迫する状況は、彼らの運命を大きく左右することになります。
日高山脈でのヒグマとの遭遇:緊迫の記録
1970年7月12日、福岡大学ワンダーフォーゲル同好会の5名、リーダーの太田陽介氏(仮名・3年)、サブリーダーの辻博之氏(仮名・3年)、平野哲哉氏(仮名・2年)、坂口剛氏(仮名・1年)、杉村仁志氏(仮名・1年)が、北海道日高山脈での夏季合宿に向けて故郷博多を出発しました。
一行は列車を乗り継ぎ北上し、7月14日午前10時40分に根室本線の新得駅に到着。そこからバスとタクシーを利用して芽室岳登山口まで移動し、清水町営林署に登山計画を提出した後、山中へと足を踏み入れました。この日は、登山口から約20分歩いた地点に最初の野営地を設営しました。
翌7月15日の午前10時には芽室岳の山頂に到達し、そのまま日高山脈を南下する縦走を開始。7月19日にはルベシベ山分岐を通過し、7月22日にはピパイロ岳、7月23日には戸蔦別(とったべつ)岳を経て七ツ沼カールに野営しました。この日、七ツ沼カールに比較的早く到着したため、メンバーは幌尻岳を往復することに。山頂で出会った他の登山者から周辺ルートの情報を得て、七ツ沼カールから新冠川を下り二股へ、さらに別の沢を遡上してエサオマントッタベツ岳の北カールを目指すことを決定しました。また、食料と残り日数を考慮し、カムイエクウチカウシ山で合宿を打ち切り下山するという方針が、太田氏と辻氏の話し合いにより固められました。
7月24日はエサオマントッタベツ岳の北カールへ続く沢の途中で野営し、翌7月25日の午前9時40分にはエサオマントッタベツ岳の山頂に立ちました。午後1時10分には春別岳に到達し、午後3時20分、1900メートル峰(1917メートル峰または1903メートル峰と推測される)直下150メートルの九ノ沢カールにテントを設営しました。
夕食を終え、全員がテントの中にいた午後4時30分頃、太田氏がテントから約6~7メートル離れた場所にヒグマがいるのを発見しました。坂口氏の報告によると、そのヒグマは全長約2メートルで、黄金色や白色が混じる茶色の毛並みをしていたといいます。のっぺりとした顔立ちで、のそのそと周囲を歩き回りながらテントの様子を伺っていたとされています。
最初のうちは、テントの裾を開けて、5人全員が興味津々にヒグマを観察していました。この時点では恐怖を感じる者はおらず、平野氏に至っては、カメラでクマを撮影しながら「自慢話ができる」と口にするほどでした。
しかし、ヒグマは一度テントから約25メートルほど離れたものの、再び徐々に近づいてきて、テントの外に置かれていたキスリング(登山用大型ザック)を漁り始めました。坂口氏の報告には、「キスリングを破り、食料を少し口にくわえ、雪渓に隠れて、時折顔を出す。近づいた時など、鼻息の『グゥー、グゥー』という音が聞こえる」と記されており、状況が緊迫している様子が窺えます。
この記録からは、大自然の雄大さと厳しさ、そして人間がいかに無力であるかを痛感させられます。山岳活動においては、野生動物との距離感を保ち、彼らのテリトリーを尊重することの重要性を改めて認識させられます。また、万が一の事態に備え、冷静な判断力と適切な装備がいかに不可欠であるかを教えてくれる教訓とも言えるでしょう。自然を愛する者として、この事件から多くを学び、安全に対する意識を常に高く持つ必要があります。