山野井妙子の新たな生活:伊豆での穏やかな日々
世界的な登山家である山野井妙子氏は、ヨーロッパアルプスやヒマラヤでの数々の成功によりその名を轟かせました。しかし、その道のりは決して平坦ではなく、マカルーやギャチュン・カンでの登攀では、両手足の指の多くを失うという過酷な試練を経験しています。長年にわたり国内外の山々に挑戦し続けてきた夫の泰史氏と共に、現在は畑仕事や磯釣りを楽しむ、自然と調和した穏やかな日々を伊豆で過ごしています。妙子氏の波乱に満ちた半生を追った書籍『凪の人 山野井妙子』の中から、彼女の伊豆での生活を描いた序章部分をご紹介します。
山野井妙子氏と泰史氏夫妻は、伊豆半島の川奈という海沿いの町に居を構え、その自宅は海岸線から少し奥まった小室山の麓に位置しています。二人が共に歩んできた29年間を過ごした東京・奥多摩を離れ、伊豆へ引っ越したのは2020年4月のことでした。奥多摩での最初の14年間は道所という集落で、多摩川沿いの築年数の古い平屋に暮らしていました。土間にかまどがあり、薪でご飯を炊く昔ながらの生活を送っていましたが、その家が老朽化し傾き始めたため、同じ奥多摩の倉戸山山麓に新たな家を借りました。
二軒目の家は高台にあり、奥多摩湖を一望できる素晴らしいロケーションでした。念願の畑を作ることもでき、谷底にあった道所の家と比較して日当たりも格段に改善されました。しかし、冬の厳しい寒さは依然として厳しく、特に2002年にエベレストに程近いギャチュン・カンでの登山中に夫婦で重度の凍傷を負い、手足の指を切断して以来、奥多摩の寒さは一層身に応えるようになりました。手術と退院後、友人の俳優、市毛良枝氏の厚意により、伊豆にある彼女の別荘で長期滞在する機会を得ました。また、別の山仲間からも伊豆の別荘を貸してもらうなど、伊豆の温暖な気候は、傷を負った身体にとって非常に優しく、海を眺めることで心も解放されるのを感じました。この時期に海釣りの楽しさを覚えたといいます。さらに、近くの城ヶ崎海岸沿いには手軽にクライミングを楽しめる岩場があり、これも彼らにとって大きな魅力となりました。以前から「いつか暖かい場所で暮らしたい」と話していた二人の次の居住地として、伊豆半島は最有力候補となりました。
市毛氏の別荘から奥多摩の自宅に戻った後も、彼らはクライミングのためにたびたび伊豆を訪れました。その際、同時に物件探しも始め、やがて本格的に移住計画を進めることになります。旧知の山仲間からの紹介もあり、いくつかの物件を巡り、最終的に現在の住まいへと落ち着きました。泰史氏の「周囲に家がない静かな場所で暮らしたい」という希望と、妙子氏の「もっと広い畑が欲しい、果物の木々があれば嬉しい」という願いが両方叶えられた場所でした。引っ越しは、自家用車のハイエースで5往復するだけで済みました。冷蔵庫だけは、立てたまま運ぶ必要があったため、山の友人である半田久氏の軽トラックを借りて運びました。必要最低限の物しか持たない二人にとって、これだけの運搬で済んだのは幸いでした。最もかさばったのは、自宅に設置していた人工壁(クライミングウォール)に使われていたコンパネとホールドでした。泰史氏が倉戸山山麓の家に作った人工壁は、一部屋を占めるほどの大きさで、床から天井を抜いた屋根裏まで届く高さがありました。それらの全てを取り外し、コンパネとホールドを伊豆の新しい家へと運び込みました。
高所登山における輝かしい功績と、それに伴う壮絶な経験を持つ山野井妙子氏が、人生の新たな章を伊豆で開いたことが、この記事を通して鮮やかに描かれています。奥多摩での生活を終え、温かい気候、豊かな自然、そして海が身近にある伊豆へと移り住んだ夫婦の選択は、彼らが長年の登山生活で培った自然との一体感を、日常生活の中で実現しようとする強い意志の表れと言えるでしょう。畑仕事や磯釣り、そして手軽なクライミングといった活動を通じて、心身ともに穏やかな生活を送る妙子氏の姿は、多くの人々にとって、困難を乗り越え、新たな幸福を見出すことの重要性を示唆しています。