ヒグマ遭遇:福岡大学ワンダーフォーゲル部、危機一髪のサバイバル
1970年の夏、日高山脈で福岡大学ワンダーフォーゲル同好会の5人の学生が、想像を絶する事態に直面しました。彼らはヒグマにテントを奪われ、八ノ沢カールに設営された鳥取大学のパーティのテントを頼りに下山を試みます。食料について語り合いながら歩く彼らの背後に、稜線からヒグマが忍び寄っていたのです。日が暮れ始める中、事態は一層緊迫し、一行は散り散りになる危機に瀕しました。
回収した装備を再梱包する際、坂口のキスリングはヒグマに食料を荒らされた際に破損し、背負うことができなくなっていました。パッキングを終え、午後2時頃から約1時間稜線を歩いた一行は、その夜、「カムイエク1900M峰と中間ピークの間の地点(場所不明)」で野営することにしました。太田と辻がテントの修理に取り掛かる間、他の3人は夕食の準備を進め、午後4時半頃に食事を済ませ、テントを設営しました。しかし、午後5時10分頃、再びヒグマがテントの入り口の反対側に現れ、彼らを恐怖に陥れました。
辻の証言によると、「坂口が『熊だ!』と叫んだため、辻と太田が入り口の方へ向かい、状況を確認した後、太田が『一斉に逃げろ!』と叫んだ」とあります。突然の出来事に、坂口だけがキャラバンシューズを履いて飛び出すことができました。杉村は素足にサンダル、辻と平野は靴下のみ、太田に至っては何も履いていない素足の状態でした。
5人はカムイエクウチカウシ山方面への縦走路を約50メートル下った地点まで逃げ、そこからしばらくの間、ヒグマの動向を監視しました。その間に太田は2度、テントの近くまで戻り、ヒグマの様子をうかがいました。2度目に様子を見に行く前、太田は平野と杉村に「鳥取大学のテントに行き、今晩泊めてくれるよう頼んで来てほしい」と伝え、2人を送り出しました。彼らは同日、稜線で出会った際に、鳥取大学のパーティが八ノ沢カールに野営していることを把握していたようです。
その後、2度目の偵察から戻った太田は、辻と坂口に「まだクマが居座っていてテントには泊まれない。鳥取大学のテントに行こう」と告げ、3人で稜線をたどり始めました。その途中、戻ってきた平野と杉村が合流し、「鳥取大学のテントを確認した」と報告しました。これにより、5人は再び一堂に会し、八ノ沢カールへと向かうことになりました。
通常、その場所から八ノ沢カールへ向かうには、カムイエクウチカウシ山の頂上を越えてから稜線の東側の斜面を下っていく経路が一般的です。しかし、時間がないことと全員の疲労を考慮し、太田は頂上直前の稜線からカールへ下ることを決断しました。辻もその決定を受け入れ、「そこはハイマツも少なく、草が生い茂り、危険な場所ではなかった」と記録しています。彼らは歩きながら、「明日は青函連絡船に乗って帰れるだろう」「下山したら何を食べようか」「博多に戻ったら真っ先に長崎ちゃんぽんを食べに行こう」といった会話を交わし、希望を抱いていました。しかし、稜線から60~70メートルほど下ったところで、坂口が稜線から降りてくるヒグマが5人の後を追っているのを発見し、「クマだ!」と叫びました。ヒグマはすでに最後尾を歩いていた辻からわずか10メートルほどの距離にまで迫っていたのです。
日没が迫り、ヒグマの追跡が続く極限状況の中、福岡大学のワンダーフォーゲル同好会の5人は、生存をかけた決断と行動を余儀なくされました。彼らは連携を取りながら、刻一刻と変化する状況に対応し、安全な場所への移動を目指しました。